2019年4月29日月曜日

想い出はモノクローム

先日最新のアサヒカメラを読むと、「攻め」のモノクロ写真 ってな特集で色々と勉強になりました。
そうか、その通りだ!ということがたくさん書いてありました。
僕は、カメラを始めてから、基本的にはモノクロを封印してここまでやってきました。何故なら、「何となくそれっぽい写真」になって、それで満足してしまうことが嫌だったからです。
そのアサヒカメラにも書いてありました。
「それはモノクロームではなくて、カラーから色を抜いただけのモノトーンだ」と。
そう、そうなりたくはなかった、というのもありました。
モノクロームは難しい。色を抜いただけで成り立つものではないと思っています。
また、「わざわざデジタルカメラの色を抜いた「意味」はなんだ?」とも以前のアサヒカメラでは問われていて、その通りだと思っています。
それっぽくなったからって、それで満足しているようでは今後の進歩などなかろうというものだ。

今回、これまで撮った写真の中でいくつかモノクロームにした写真をあげてみました。
モノクロームにする「意味」がある写真って実は結構少ないものだな、と今回モノクロームを作ってみて身に染みてます。その、「意味」ってなんなんだよ?って問われても僕の技術力では答えようがないので、これから一緒に考えていくのにお付き合いください。
ただ、色を抜くからこそ浮かび上がる
1)主張
2)構図
3)感情
というものがなければモノクロにわざわざしてはならない、と自戒しているのは、今後も変わりません。もちろん、ここで挙げている写真がそうなっているかどうかは微妙ですが、これでも気を付けてモノクロにしているつもりだ、ということでご勘弁ください。
モノクロームは、色がないのに色を感じることができる、というのを僕は目指していきたいと思っています。

しかしあれですね、モノクロームにするにはsmc PENTAX-FA 31mm F1.8 AL Limitedで写したものがやはりハマるな、というのが実感(上と下の写真)。
もしくは、HD PENTAX-D FA★ 50mmF1.4 SDM AW(トップ写真)。

あと、富士山は留保条項抜きでモノクロームが似合います。
ただし、花や紅葉と一緒に富士を写す際は色合いも大事なので、わざわざモノクロにする意味はよくよく考えた方が宜しかろう、と思います。


ってな感じで、これからは自分的にモノクロームを解禁して混ぜていきます。少し上の段階への挑戦です。
                        

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