これが山口旅行記の最後になりますが、秋吉台まで来たら訪ねてみたかったところがあります。それがここ絵堂です。
ほとんど聞いたことがない、という方が多いでしょうが、ここは明治維新につながる歴史的転換点となった場所です。
山口の長州藩は幕末、幕府から攻め立てられ、壊滅寸前になっていました。そこで幕府への恭順派が藩内の実権を握り、それまで息巻いていた藩内の討幕派はほとんど粛清され、高杉晋作の造った奇兵隊も解散寸前になっていたのです。そこで山県有朋らが奇兵隊とともに立ち上がり(高杉晋作は下関にて挙兵中)、ここ絵堂で藩政府軍と奇兵隊とが激突したその場所がここ、絵堂です。戦争の規模としては内乱程度の小さなものです。
しかし、ここ絵堂での戦いで奇兵隊が負けてしまえば、後の薩長を中心とした明治維新はあり得ず、日本の歴史も全く違うものになっていたといわれています。
この辺りの描写は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の6巻や、同「世に棲む日日」の4巻に詳しく書かれています。以下、「竜馬がゆく」から。
「絵堂で、正月早々、戦争が行われた。専任と二百人の小さな戦争で、内乱である。戦争としての規模からいえば取るに足らぬ事件だが、この戦争の結果が幕末の日本史を大きく回転させることになったことをおもえば、絵堂の戦争の意義は大きい。」
特に、「竜馬がゆく」の中では、司馬先生がわざわざ絵堂を訪ねて行ったことをエッセイ風に描かれています。
下の写真が粟屋帯刀率いる藩政府軍の絵堂にあった本営跡地。奇兵隊がここを襲撃するところから絵堂の戦いが始まります。
「おおおお!ここかあ・・・」
と、地味に感動が沸き上がります。
下が、奇兵隊の本営があった金麗社。
守りにくい絵堂から5キロほど南へ下がったところに移り、ここを本営にしたとのこと。
この内戦に勝った高杉、山縣らによる革命軍が長州藩の主導権を取り戻すことにより、薩長同盟、明治維新へとつながって行くのです。
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