2019年8月20日火曜日

普賢岳火砕流の被災跡 旧大野木場小学校 HD PENTAX-D FA★ 50mmF1.4 SDM AW

雲仙ロープウエーで山頂まで行って、普賢岳を間近で見ると、どうしても火砕流による災害の遺構を見たくなったため、ここ旧大野木場小学校へ参りました。隣接する砂防未来館と併せて非常に見ごたえのある場所となっています。

ここの場所ですが、下の写真中央左の旧大野木場小学校と書かれてある場所であり、ギリギリ火砕流には飲み込まれなかったところですが、熱風で完全に焼けてしまったところです。ここがやられた時には児童たちは避難しており、人的被害はありませんでしたが、結構ヤバかったようです。人的被害があったのは真ん中の火砕流。この小学校を焼いたのは、写真右側のおしが谷を回った火砕流の熱風が襲ったようです。
ちょっとピンときていない方も多いかもしれませんが、火砕流はこの災害において、9432回も起こっています(?!!)。つまりそのうちの一つだ、ということです。

現在は、以下のように土石流対策のための工事が大々的に行われていました。多くは無人機による工事がされているようですね。



これが現在の旧大野木場小学校。完全に焼けて、ほぼ窓ガラスも無くなっています。

下の写真は人的被害が出た6月3日の様子(小学校内の看板を撮影)。
いや、子供たちもこの時は全然避難してねーじゃん。何やってんだよ、と。この時人的被害が出なかったのは運が良かったとしか言いようないですね。この時は水無川に沿って火砕流が流れたので助かったようです。実際に校舎が焼ける被害は9月15日だったから良かったものの。


下の写真の中央部に見える火砕流跡が記者たちを中心に人的被害が出た場所。退去勧告に応じなかった記者たちがいることで消防団、警察官、送迎タクシー運転手たちがそこに滞在せざるを得ず、43人が犠牲になったところです。


下の写真は、島原の海に突き出た突堤から写したものですが、奥に普賢岳が見えます。
その右手前に眉山という穏やかに見える山があります。実は、日本での火山性災害で歴史上最も被害の大きかったものはこの眉山が原因だって知っていました?僕はこれまで知りませんでした。

230年前、普賢岳の噴火が原因の地震で眉山の海側が大崩落を起こし、島原の街を飲み込んで数十mの津波を起こして対岸の熊本(肥後)にて5000人の犠牲者を出しました。また、肥後から跳ね返って来た津波で島原側にて1万人ほどの犠牲者を出すという未曽有の大災害だったようです。肥後にとって大迷惑となったこの災害は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれています。
なんか、想像を絶しますね。
以下のサイトは島原大変が学術的に検証されていて、すごく面白いです。興味のある方は是非どうぞ。

その大崩落でできた島々が島原の目の前で九十九島と呼ばれる小島群となっています。

向こう側が熊本になります。右手側が天草。こうしてみると、結構遠いんですわ。数十mの津波があちらに行ってこちらに戻ってくるって・・・・ねえ。





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