僕もおっさんになって何が良いって、夫婦で行くと1100円になるってことで、この値段ならば気軽に映画も行けるよね。若い人はうらやましいですか、そうですか。
「彼女のお芝居、特に泣くシーンの芝居がとにかく凄くて、もし今回の審査員の私たちがこれから撮る映画の中で、あの泣き方をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」
そう、つまり安藤サクラの泣きを見に行ったわけです。
(写真は映画とは関係なく、昔金沢に行った時の裏路地が、この映画の雰囲気にちょっと近いかな、というだけです。いや、ホントは全然近くないですけどね)
映画を観ているときは、その主人公たちの底辺さ加減、判断のデタラメさ加減に驚き、あきれながら鑑賞していたものの、実際にこの映画の良さを感じ始めたのは家に帰りついてから。
お酒でも飲みながら、じっくり、じんわりとその重みが増し、しばらく映画の余韻に浸ることになります。
映画自体はあまり泣かせようと作為的に作られておらず、肝心な場面ではほとんどBGMも流れません。だから正直言って僕は泣けませんでした。でも、泣けなかったからこの映画が大したことなかった、という評価とは別なんだと思いますね。
リリーフランキー。
この人、いつもながら素晴らしい演技だなあ。演技、というより、この人のやる多くの役柄がそうであるように、ダメ人間なのに芯の通った温かみのある役であり、そんな役を与えられている、というのは俳優からしてみるとうらやましいことなんだと思う。
ケイト・ブランシェットは安藤サクラの泣きに感動していたけど、本当は、安藤サクラの演じたような底辺の女性の泣き(演技)をやりたい、と思ったんだと想像する。王女様の役柄じゃなく、ね。
映画自体も大したもんだが、子役を含めた俳優陣も圧倒的。
ただしあえて鑑賞のお勧めはしません。好き嫌いが分かれるに決まっている映画だから。
この映画にピンとこない人は幸せな人、というレビューを見たことがありますが、それは言えると思います。ただ、ピンと来なくても映画の出来の良さは分かるかと。
(追記)
あれからつらつらと考えるに、安藤サクラの役柄の女性がたどって来た人生が想像以上に劇的なものである、ということがセリフの随所からかすかににおってくるのを逃してはダメだと思う。
彼女の人生を描けば1本の映画になるほどだ、というドラマがほとんど語られずに映画は終わっていく。だからこそ、そこに(実際には目にすることのできない)映画の深さを見ることができるのである。
彼女の最後に見せる涙は、どういう人生を生きてきたからこそなのか、も語られない。ここのポイントを、是非同伴者の方と語り合っていただきたいものである。
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